体の不調を感じ始めてからの20年を大まかに振り返ります。
10~1で大まかに状態を表しています。健康でQOLが高い状態を10、体調不良が深刻なほど数値は下がり1に近づいていきます。
小学生 健康レベル:10~9
幼少期は男の子と元気に外で遊びまわるような感じの子供で、自然の中で遊ぶのが大好きで山登りやカヌーをしたりと元気いっぱいでした。感覚過敏(視覚、聴覚も含め)はありませんでした。
しかし、今思い返せば、姿勢の保持が難しく椅子に座ることが苦手でした。もしかしたら、感じられていないだけで感覚統合が上手くできていなかったのかもしれません。その他には、軽度の喘息とアレルギー性鼻炎がありました。アトピー性皮膚炎は幼稚園の頃にありましたが小学生になった頃には見られませんでした。
中学生 健康レベル:9~8
人より少し成長が遅かったかもしれません。
乳歯もまだあり、授業中に抜けたことを覚えています。
このころより少しずつ体調に変化が感じられました。平衡感覚を必要とする運動が苦手になりました。また、初経を迎えると女性ホルモンの影響なのか体調不良を感じることが多くなりました。
思春期は脳の変化がみられるといわれていますが、その成長に追いつけてない感覚がありました。
高校生 健康レベル7~4
高校入学してすぐに熱が頻繫に出るようになりました。(37℃~38℃)
また、極度に疲労を感じやすくなり、睡眠障害が始まりました。
病院で様々な検査をしました。CRP等の血液検査で異常数値がみられるも原因不明で、学校生活に集中できない日々が始まりました。体調不良が続き、学校に通えない日も増え、所属していた吹奏楽部はやめることになりました。
体調は非常に不安定で、脳神経外科や膠原病内科を案内されるが原因不明とのことでした。この頃から、ブレインフォグ?脳疲労のようなものも感じ始め、慢性疲労となります。
大学受験の勉強も出来ない状態でしたが、ありがたいことに、私立大学の推薦(志望校ではないが…)をもらい進学は出来ました。興味のあった生徒会活動に参加することもでき、クラスメイトや教員の理解に恵まれていたおかげで体調は不安定であったが、楽しい高校生活でした。今でも感謝の気持ちをでいっぱいです。
20歳~22歳 健康レベル4~3
どうにか医療系の大学へ進学し一人暮らしを始めるも体調不良が続きました。病院へ行くも原因不明とのことで、症状を伝えても医師からは「痛みは気のせいだ」といわれ、見過ごされるきっかけになりました。この時に軽度の線維筋痛症であることが分かれば、重度になることは避けられたと思いますが、当時は線維筋痛症の認知度も非常に低かったです。体調不良で大学を休学し、アルバイトも辞めました。体調不良の原因が分からず、疲労困憊でしたが大学の友人は優しく実家へ引っ越してからも会いに来てくれました。
22~24歳 健康レベル2~1
症状はさらに悪化しました。痛みでQOLは低下、歩けない、車の揺れもしんどく乗ることができない、感覚過敏やアロディニアによって、服を着ると痛みを感じるほどになりました。
日常生活では、家族の介助が必須で、車椅子も利用しました。お箸やコップを持つのも辛く、自立した生活を送ることができない自分が情けなくなりました。痛みの変化が激しく、予定も立てられません。病院へ行くのも一大イベントで、待ち時間に長時間、同じ姿勢でいることなども辛かったです。
今日は体調が落ち着いているから、明日は大丈夫と思うと期待を裏切るほどの痛みに襲われることも多々あり、このように予測ができない病状は、自己嫌悪と自己肯定感の低さに影響を与え、悪循環となったように思います。
大学で線維筋痛症と診断されるも、適切な医療を受けられず困り果て、憂鬱な状態に追い詰められました。薬は何も効かず、痛み止めの副作用で胃炎になり、痛みで食欲不振となり、体重も30㎏代と10㎏程瘦せました。
そこで危機感を覚え、様々な本やインターネット等で情報を探し、自身でリハビリのために運動を始めます。(痛みがあるから動くなという医師もいましたが、動かなければどんどん悪化する事に…当時は今ほど線維筋痛症の認知度がなかったようです。)
身体的にも精神的にも一番つらい時期でした。病気になると心まで蝕まれます。健常者であれば、何気ない会話も、健康問題があることで、傷つくことが増え、人との会話もしんどくなります。
自殺の原因は「健康問題」が最多といわれますが、その理由を体感しました。
25歳~26歳 健康レベル3~4
酷い痛みはあるものの、休んだり、モーラステープを使ってどうにかアルバイトができる状態まで回復しました。アルバイトは月3日くらいで、40~50時間程度だったと思います。アルバイトから帰宅すると寝込むことはありましたが、痛くても動くことで体力を取り戻しました。
27歳~30歳 健康レベル5
中小企業へ就職しました。初めてのフルタイム勤務です。
体力はついてきたものの帰宅後は痛みで動けなかったり、その他の二次障害で寝込んだりする日も多かったですが、どうにか休まず週5出勤できるようになりました。
やはりモーラステープは手放せない状態で、月に1度鍼灸治療を受けるようになりました。
このころより、鍼灸の魅力を感て、同じ病気で苦しんでいる人の力になりたいと思うようになり、鍼灸師に興味を持つようになりました。元々医療系大学へ通っていたので人体の構造や機能には興味がありました。
30歳~33歳 健康レベル5~3
会社が営業不振で倒産しました。それをきっかけにフリーランスとなりました。
同時に専門学校へ進学し、鍼灸師を目指すことを決意しました。
体調は寝たきりの時と比較すると体力もつき、痛みの程度も軽くなりましたが、やはり常に疲労感やこわばり、感覚過敏、アロディニア等、ブレインフォグが酷い状態が3年間続きました。
途中、休学も考えましたが費用の負担が大きかったため、諦めました。
専門学校と同時にフリーランスとなり、右も左もわからない状況でとにかく時間に追われる日々だったことも病気を悪化させた原因だったと思います。
持病がある私にはなかなかハードルが高過ぎる学校生活でした。
家族の協力がなければ、卒業は出来なかったでしょう。
33歳~34歳 健康レベル4
どうにか学校を卒業し鍼灸師になるも元々無理がきかない体に、更に無理を強いた状態を3年続けたため、痛みが悪化し、動けなくなりました。様々な二次障害も悪化し、休養することになりました。この時、線維筋痛症は一生付き合っていかないといけない病気だと思いました。
「治る=症状がなくなる」を目指すのではなく、「症状がほぼない、又は症状が軽度である」を継続できるよう、苦手なこと、困難なことを避け、体調管理を見直そうと思いました。
年に数回、これが健常者と同じ状態かなと思うほど体調が良い日があります。
その反面、一日寝込み、動けない日もありますが、一喜一憂しないようにしています。
34歳~現在 健康レベル5
自身のセルフケアと家族の協力もあって、少しずつではありますが回復しました。
どうにかフリーランスでの在宅の仕事ができる状態です。
家族には感謝の気持ちでいっぱいです。
さいごに
ざっくりとまとめるとこのような感じです。
病気のことになるので、どうしてもネガティブな内容が多いと思います。
線維筋痛症になって、良くなっていった経過をありのままに書いていきたいので、苦手な方は、そっとこちらのホームページを閉じていただければ幸いです。
線維筋痛症に関わらず、10代に病気を患うとその後大きく人生が左右されると思います。(特に進路や就職)そのことで、周りの健康な人(本当は健康に見えて悩んでいる人もいるかも)が羨ましく、精神的につらいことも多々ありました。線維筋痛症になって、感覚過敏、アロディニア、不眠等に悩まされています。その件に関しましては、またブログで紹介したいと思います。
私のブログで何か線維筋痛症について、お役に立てると嬉しいです。
※写真は数年前に撮ったネモフィラ
花言葉は「どこでも成功」「可憐」「あなたを許す」だそうです。
漢字で書くと瑠璃唐草でネモフィラと呼ぶそう。ブルーの小さな花が可愛くて好きです。

線維筋痛症と診断されて10年以上となりました。試してみて良かったことや経過を書いています。また、鍼灸師として、日々養生しています。


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